今日も旦那の帰宅待ち

40女パラサイト既婚無職のたわごと日記

自分の言動に、対価や見返りを求めるエネルギーの凄まじさに恐怖を覚える

傾聴ボランティアのスタンスでいる私は、
もう、そのスタンス自体が限界なのかもしれない。

そもそも、傾聴ボランティアは私の幼少期からの
人間関係の基本軸であり、生きる術であり、
知恵だったが、ここ最近は、そんな他人の話を 
笑顔でニコニコ聞いている時間がもったいない、
と思うようになってきてしまった。

些細な変化かもしれないが、私にとっては
私の生きてきた40年を揺るがす変化に思う。

私は、傾聴ボランティアをやれるには、
まだまだな人間であり、やはり、"聞いてやっている"
という上から目線をどうしても感じてしまう。
だから、傾聴ボランティアのつもりが、
お茶代払え、とか、割り勘なんて許せない、
とか、私聞いてばっかりの壁とか、
対価や見返りを求める怒りのエネルギー
の凄まじさに圧倒されることがある。

あ、私、自称"傾聴ボランティア"のくせに、
傾聴ボランティアである自分に怒ってたんだ、
と思うようになったのである。

こう思うようになってしまうと、もう、
聞き役は出来ないし、会話の配分がおかしい
知り合い(例えば、自分の話ばかり2時間する人)
とは会いたくなくなる。現に、会ってない。

そして、大変なことに、他人に聞いて欲しい話
というのが私に無いのである。
だから、私、人と会っても、ネタ、無いのね。
あることはあるんだけど、コイツに話すまでも
なかろう、みたいな仙人の私もいて、
やっぱりどーでもいい話を聞くはめになる。


特定の人には話すことはあるのよね。
旦那とか、メンターの方々とか。
私との思考段階が、同じレベルかそれ以上の人。
すごいおこがましい言い方でぶったぎってるけど
会う価値があると感じる人ともっと会いたい、
と思うようになったの。


同じ人間なのに、「会う価値」なんて言ってしまって
ごめんなさい。
でも、そんなことを考えるようになった、
というか、気付いてしまったのよね。
気付きたくなかったのかもしれないけど、
気付いちゃったら、もう、後戻りできない。
将来と未来のことを考えるようになったわ。


傾聴ボランティアの仮面を捨てるわけじゃ
ないんだけど、その仮面を被る頻度は、
これからは少なくなると思う。


なんかね、そんな予感がする。
というか、そういう生き方をしたいわ。