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今日も旦那の帰宅待ち

40女パラサイト既婚無職のたわごと日記

すべての人間に平等なこと

それは、「生」と「死」。


旦那の知り合いの男性の奥さまが先日急遽、
お亡くなりになられた。持病の病死だったという。
その男性と、残された子供たち。。。
ど〰すんだろ。


そんな話を旦那としていたら、旦那は意外と
至極、常識的な死生観を発表してきた。
曰く、
「50歳にもならないうちに死ぬなんて不平等だ」
とのこと。どの辺が不平等なのか聞いたら
「年齢!若過ぎるし!」
とのこと。


さて。あなたは、どう思う?
正解は無いのよ。
論破の必要も無いのよ。
何が良くて何が悪いかの基準も無いのよ。


私はね。言えなかったんだけど。
旦那とその知り合いの関係の方が、私との
関係より長いしね。
私が、私の死生観を語ったって無意味だと
思ったのよね。その時は。
私の出番は無しって感じたし。
だから、今から言うことは、このブログだけに
打ち明けます。


私は、実は、漠然と、死を受け入れてます。

別に病気持ちとかじゃないけど。
体調不良なだけだけど。
死んだら、体調不良とか無くなるしな、とか。
死が側に居てくれる、とも思ってます。
意外とポジティブなんですね。


なんかね。小学生の頃からだろうね。
シングルマザーの母親が死んだら、
私も死のうって思っていたのよ。
癇癪持ちの祖母との生活に耐えられないと
思っていたから。
あと、この広い、ガラクタに埋もれた家に
住みたくなかった。
だから、良いキッカケになるかな、と
思っていたんだよね。
小学生の時は、ずっとそんな感じで、
中学生、高校生になると、実家を出て東京の
大学に入ることしか頭になかったから、
死に対して常時考える、ということは減ったかも。
少し大人になったしね。
大学時代は、実家からの開放感を味わい、
バイト三昧と就活を適当に済ませて、
就職したんだけど。
入社して、夏くらいかしら。
入社当時のモチベーションがガックリ落ちる時。
電車がホームに入ってくると、その電車に
飛び込むことを想像して怖くなっていた
自分がいたんだよね。
※あ、頭の病気とかじゃありません。素です、素。

なんか条件反射っつーの?
吸い寄せられるっつーの?
電車がホームに入ってきた時だけ、「死」が
私の脳を駆け巡るんだよね。
電車なんて、ほぼ毎日乗っていたから、
通勤時、外回り時、プライベートな時。
それはいつ何時も「電車がホームに入って
きた瞬間に、条件反射で"死"を思い浮かべてしまう」
という、意味不明な癖があったのよね。
、、、あったというか、今もだけどね。

まぁ、こういう癖があってね。
特に体調悪い時は、電車のホーム進入が
ひどく怖くてね。
電車の運転士と目が合うと、なんか全部
見透かされているみたいでね。
目線を反対車線にずらしてたよ。

東京で、電車の進入時に目を瞑る、なんて
色んな意味で危ないからね。
わざと、ベンチに座って気持ちが落ち着くまで
何本か見送ったりしたよね。
まぁ、今もするけど。

そんな訳で、外出して電車乗るときは、
必ず死を意識するのよ。自動的に、癖で。


だから、旦那が、「早すぎる死は不平等だ」
って言ったんだけど、「そうだね」くらいにしか
返事出来なかった。
だって話すと長くなるし。
割りとシビアなテーマだし。
それに、「これでも私は結構、もう、
"死"を受け入れて生きてきたのよ」
とか言うと、病気も何にもない私が言うのも
説得力ないし。

私には存在する価値があるし、
私には自分を幸せにする勇気もあるし、
私には旦那と地続きの未来も生きていける。
だけど、死は誰にでも訪れる。
準備する心配りがあるか、ないかくらい
じゃないかな、不平等かどうかって。

親より先に死ぬのは、親不孝かもしれない
けど、それは不平等とは違う。順番が不運
だっただけ。

未成年の子供たちを残して母親が病死するのは
未練がある死だけど、それも不平等とは違う。
その人の死ぬ時になったから死んだだけ。
早期発見、早期治療でも死ぬ時は死ぬし、
死なない時もある。これも不平等とは違う。

死のタイミングは、あちらから来ちゃうのよ。
お迎えが勝手にね。
だから、本人にどんな事情があろうとも、
誕生するタイミングも、死ぬタイミングも
分からない。

そんな分からないものが、不平等なわけ、
無いじゃない?
分からないから平等なんだよ。
平均寿命はあるけど、早く死ぬ人もいれば
早く死んでくれと懇願されるくらいの老衰
のまま、ずーっと生きていたりする人もいる。
うちの90歳の祖母が良い例だよ。
その90歳の祖母が死んで、旦那の知り合いの
奥さんは生きる、というのは、ちと論点が異なる。

病気の人だって、余命宣告よりも早く死ぬ人も
いれば、なんやかんやで死なない人もいる。
これも不平等の問題ではない。


いつ死ぬかが皆分からないから、
「死」は皆に平等なんじゃないのかな。


私の遺品整理は手早く終わるでしょう。
銀行は1行。クレジットカードは2枚。
大事なものBOXに、幾ばくかの現金と、
銀行の暗証番号を書いた紙、印鑑。
全財産はそれです。
株もなし、加入保険もなし、不動産所有もなし。
無職だから、仕事関連で電話する必要もなし。
いつ死んでも良いように、常に持ち物は
ミニマムにしてあります。
※通常よりちょっと量の多い洋服と、
CD、本は除く。
※洋服は十分売れますよ。都度、買い換えているから(笑)


このようにして、女40にして、死への
カウントダウンを受け入れます。


なんて、旦那が知ったら、ビックリするだろうな。
「また"悟り"を極めてるのか?」って。
でも、まぁ、そんな感じなので。
私が小学生の時からのライフワークに近い
趣味(?)なので。


そんなら、死を受け入れているんなら、
なぜ不眠は受け入れられないんだろうか。

死は、今現在は机上の空論だけど、
不眠は、今現在、私をリアルに苦しめる存在だからか?

、、、とすると、死を受け入れるって言っても、
空論ではなく、現実問題になったら、
死にはやはり苦しめられる存在になるのだろうか?

分からない。
分からないまま、午前3時\(^o^)/

眠れない夜はまだまだ続く。。。


読んで頂いてありがとうございます。
また気が向いたらブログ書きます。