今日も旦那の帰宅待ち

40女パラサイト既婚無職のたわごと日記

自分を親切だと思っている人、要注意!

何事も、「し過ぎる」には要注意です。

それが、自分に向かった時は、
まぁ、自己責任になるので、
あまり問題にならないですが、

可愛いらしい例として、

「ダイエットのためランニングを始めて、
昨日は走り過ぎて、絶望的な筋肉痛で、
会社休む(  ̄▽ ̄)」
とか、
「ぬか漬けにハマっていて、手のぬか床
の臭いが取れない。一日中パソコン仕事
なのに、キーボード打つ度にぬか床臭!」
とか、
「断捨離に今頃目覚めて、
(※今だとミニマリスト?)
着ていく服まで捨てちゃった!」
とか。


可愛いもんじゃないですか。
誰に迷惑をかけるわけでもなし。
厳密には、自分で自分に迷惑をかけて
ますが、このくらいは許容範囲かと
思います。

しかし、これが、完璧主義思考だったり、
他人に向けて「し過ぎる」場合には、
要注意です。


私は重度の完璧主義思考なので、
都度、自分の思考の傾向を確認し、
巷で言われている"ほどほど、そこそこ"の
段階まで、意識的に下げます。
無意識にやっていたら、上がっちゃうから
です。
何でもかんでも"ほどほど、そこそこ"を
目指す、というよりは、現状は、9割
くらいはそれで、1割くらいはこだわる
ことにしています。
最終的には「こだわる」ことも無くし
たい、と思うのは、THE・完璧主義思考
です。
「こだわる」ことを無くすことに、
こだわらなくていいのです。
この辺は、本当に意識的に意識しないと
分からずに頑張りすぎることになるので、
どうぞお気を確かに。



今日は、自分と、というより、
他人に向けて「し過ぎる」場合が要注意
であることを書きたいと思います。


私は、他人に親切にされ過ぎて、
逆に嫌な想いをしたことがあります。
いわゆる、「小さな親切・余計なお世話」
のことに当たります。



私が体調不良で会社を休んでいた時、
1ヶ月くらいですが、有給と代休を
寄せ集めて休んでました。
その際に私を「心配したツラ」の同僚から
メール攻撃にあいました。

「みんな、心配してるよ。」
「早く良くなってね。」
「他の部署の人も皆、心配してるよ。」
「いつ会社出てこれる?」
「メールの返信が遅いから、電話しようと
思っていたところだよ。」

オイオイオイオイ。
全く、何様だよ。
あなたは、ベッドから1ミリも動けない
という状況をお分かりか?
あなたは、簡単なメールの返信さえも
ままならないという状況をお分かりか?
あなたは、先のことが闇という状況を
お分かりか?
分からないだろう?

分からないのに、心配したツラで親切を
してくる人の気持ちがよく分かりません。
心配をしているツラで、あなたに浴びせ
られた他人の疑問をそのまま私に垂れ
流しているのです。
そっとしておく、放っておく、
つつかないでおく、という基本的な親切が
分からずに、善かれと思ってやる親切は、
「余計なお世話」ということです。




例えば、杖をついた老人が駅の階段を
手すりに掴まって昇っています。
あなたは、サッと手を差し伸べ、
老人の手を取って、一緒に昇ります。
これが自然に出来る人は、立派な、
「小さな親切・余計なお世話」に
当たります。

なぜでしょうか?

なぜかも分からないんでしょうね、
この人たちは。

そもそも老人からSOSがありましたか?
SOSの表現が無かったとしても、
助けが実際にいるかどうか、老人に
意思確認の許可をもらいましたか?
老人は助けを断らないと思いますか?
それとも、ではお願いします、とでも
言うと思いますか?
無理矢理やって手を引こうとしませんか?


まず、老人は、階段を転ばずに昇ることに
全神経を集中させています。
そうやって、いくつもの階段に対処して
きたはずです。
その集中を途切れさせてまで、あなたは
声をかけようと思いますか?
仮に声を掛けたとしましょう。
老人の杖に代わったあなたの手は、
老人の杖と同様、またそれ以上に、
その老人の歩行の手助けを発揮出来ると
お思いでしょうか?
また、あなたの階段を昇る速度が速くて、
老人がペースを乱していませんか?
一段昇る際に掛け声を掛けるにしても、
老人の一段昇るペースで掛け声を適切に
掛けられる自信がありますか?
無事に階段を昇りきっても、その10分
くらいのお手伝いより、はるか多くの
時間をこれからも老人は歩いていかな
ければなりません。
もし、あなたの手助けの10分で、
老人のいつものペースを乱されたと、
老人が感じるのは、罪ですか?


そういう、10分だけの小さな親切を
受けた後の老人本人をご存じでしょうか?
親切した本人は、何だか胸を張って、
自信に道溢れた背中で颯爽と立ち去り
ましたが、老人が近くのベンチで
休んでいる姿を知っていますか?
親切にされたことと、ベンチで休んだこと
との関連性はゼロでしょうか。
これは、私の90歳になる祖母の話です。



これが、「小さな親切・余計なお世話」
です。



また、こんな例も見かけました。
私が実際に関わった例です。


また駅の構内の話で恐縮ですが、
改札口で、書類の袋が破けて書類が散乱
している人があたふたしている場面に
遭遇しました。
たまたま私は近くにいたので、拾おうと
咄嗟に手を伸ばしましたが、すぐ
引っ込めました。
その書類、数字やら売り上げなんちゃら
とか、いわゆる、報告書関係の書類
でした。
この場合、ハワイ旅行の案内パンフレット
をぶちまけた場合とは、訳が違います。
これは、いわゆる「非公開」の書類です。
そこで私はまず、あたふたしている人に
向かって、助けが必要かどうか、尋ね
ました。
「すみませ~ん!お願いしますぅ~!」
とのことだったので、遠慮なく拾わせて
頂きました。

「こんなの、黙って拾うのが恋の予感
なんじゃん!」とかの代物ではありま
せん。そういう代物は、リンゴかみかん
かジャガイモか玉ねぎと相場が決まって
います。





私が過敏過ぎると言われれば、それまで
ですが、少なくとも、相手の気持ちに
土足で踏み入れられるよりはよっぽど
マシかと思います。


親切は、小さく「させて頂く」もの。
これで一般人は十分です。



因みに、私を「心配したツラ」の同僚から
受けたメール攻撃は、「メールしないと
心配で~!」と言い訳されましたが、
本当は、心配している自分が好きなだけ
な人なので、心配して頂いたことを
感謝の気持ちとして何かやらないと、
例えば、

・心配をかけてしまったお詫びにご飯に
誘う

とか

・心配をかけてしまったお詫びに品を
贈る
とかしないと、「あなたに心配している
親切な私を見て!」という心配メールは
ストーカーのように永遠に続きます。
会社辞めた今でも、時々きますから。
完璧主義思考を治そうとしている私には、
「皆でご飯、絶対行こうね!」は、
脅迫文にしか思えません。


私のことは、どうか忘れて下さい。



読んで頂いてありがとうございました。
また気が向いたらブログ書きます。